あしながマーケター

第四回

2023年08月29日

20XX+1年4月29日

親愛なるあしながマーケター様

わたしは今どこにいるでしょうか?
そう、あなたが教えてくださった会社の保養所です!

今日から約1週間、ここで過ごすことになっています。

この辺りには来たことがないので、全然どんなところか知りません。が、夏は避暑地としても人気で別荘地として有名なので、ゴールデンウィークの時期だとまだまだ肌寒いですね。

田舎に帰っていないことが未だに信じられません。ここに到着するまでは、いつ伯母がわたしの首根っこを捕まえようと腕を伸ばしてくるのでは、そして捕まって引き戻されてしまうのでは、と心配していました。

でも、わたしはここにいます!

もちろん、掃除などの手伝いはありますが、この一週間はあなたの権威も、伯母も、ここの管理をしている千田さんのご夫妻も、わたしの自由を脅かしません!

草々
J子

保養所より、金曜の夜

親愛なるあしながマーケター様

到着したばかりですが、この場所が好きなことをお知らせします。まるで天国のようです!

建物は四角くて、あまり新しくはありませんが、綺麗なところです。広い敷地内に離れとして一軒家が一棟建っていて、そちらは普段この保養所の管理をしている千田さんご夫妻の住居になっているそうです。

小高い丘の上に建っていて、駅からは少し遠く車がないと不便ですが、アウトレットや観光街になっている駅前あたりが遠くに見え、さらに遠くには緑色の山々が連なっています。空気が澄んでいて、それでいて地元と違ってわたしを縛るものは何もありません。

保養所には、わたし以外に泊まりに来ている人はいないようで、千田さんのご夫妻と料理人(車で30分程度のところに住んでいるそうです)がいるだけでした。千田さん夫妻は70歳を越えたくらいでしょうか。白髪混じりですがシャキシャキとした元気なお二人です。

朝到着してまず、保養所の建物の掃き掃除(といっても、日々しっかりと管理されているようで大した労働ではありませんでした)と敷地内で夫妻がやっている畑や飼ってる鶏の世話を手伝いました。

手伝いの後は、保養所の所有している車を借りてちょっと駅の方を見に行きました。いくつか雑貨屋さんやお菓子を売っているお店など観光客に人気そうなお店を覗きましたが、とりあえずおやつに美味しそうなケーキを買いました。お土産は最後の日までには買うつもりです。そして帰ってから、夫妻と夕食を共にいただきました。採れたての野菜や卵、鹿肉を使った美味しい料理でした。

わたしが泊まる部屋は、普通のビジネスホテルのシングルルームよりも少し広くて、ベッドなど宿泊するのに最低限の家具があります。窓が一つと、金色で縁取られた緑色のシェードランプ。そして四角いマホガニー製の机。レトロで素敵です。空き時間はここに齧り付いて、何か文章を書きたいと思います。

ああ、楽しみ! 今は夜の10時。窓の外はもう真っ暗です。明日も朝早くから手伝いの予定なので、今日はそろそろ寝ようと思います。

修学旅行の夜みたいでワクワクするわ! こんな時間を過ごしているなんて、本当にわたしかしら。
あなたはいつもわたしにふさわしいもの以上の素敵な機会を与えてくれます。わたしは、それに報いるためにいい人でいるべきですね。きっと、そうするつもりです。

おやすみなさい
J子

P.S. カエルの鳴き声が聴こえてきます。これは少し、田舎を思い出しますね。

保養所より、5月1日

あしながマーケターさま

一体どうして、あなたの秘書はここの場所をおすすめされたのでしょうか。千田夫人とお話ししていて知ったのですが、実はこの保養所、会社の所有ではなく借りているものだそうです。さらに、実はここはQ条潤氏のものだったそうです。

幼い頃病気がちで、療養のために長くここで過ごしていて、そのときお世話していたのが千田夫人だったそうです。大人になって相続した後、企業への貸出の契約をまとめた上で、保養所の名義を千田夫人にして、住居と保養所の収入をまるっとくれたそうです。(税金等々のことは、税理士さんも雇っていろいろ上手いことやったそうです。)

彼女はQ条さんのことを潤坊ちゃんと今でも読んでいて、昔彼がどれだけ可愛らしい少年だったかを教えてくださいました。わたしが彼のことを知っているとわかってから、彼女の中でわたしの評価も上がったようです。

さて、ここで過ごす時間はますます楽しくなっています。到着したとき、夫妻が「もうすぐうちの猫にこどもが生まれるのよ」と言っていたのですが、それが昨日生まれました。6匹も。6匹の猫の名前はわたしが考えました。

1. 桃太郎(桃色のタオルがお気に入りだから)
2. サラダ(最近お気に入りの詩集にちなんで)
3. サリー
4. ジュリア(なんの変哲もない猫、斑点がある)
5. ジュディ(わたしの後をついてくる)
6. ダディ・ロング・レッグズ(優しい性格であなたのようなので)

ではまた
J子

追伸 近くの牧場で乳搾り体験をしました。
追伸(2) 鶏を育てたい方におすすめなのはオーピントン。彼らには"筆毛"がありません。
追伸(3) 夫人と一緒にドーナツを焼きました。
追伸(4) これはわたしが猫を撫でているとこです。

5月3日

親愛なるあしながマーケターさま

さて、保養所の小さな納戸の整理を頼まれてしていると、古い木の箱がありました。カラフルに色付けされた箱は保養所の納戸にあるには不似合いで、気になって中を開けると、ブリキのおもちゃやミニカー、恐竜のフィギュアなどのおもちゃと、本が入っていました。「トム・ソーヤの冒険」「紅はこべ」「海底二万マイル」などなど。その中で、トム・ソーヤの冒険の表紙にはこどもらしい字で、こう書かれていました。

もしこの本がひとりで歩き回っていたら、
家までかえしてやってください
Q条 潤

彼がここで子供の頃しばらく過ごしたことは先日のメールにも書きました。夫人が彼のことをしきりに話すので、今や彼のことを思い出すとおしゃれなスーツと革靴に身を包んだ大人の男性ではなく、ミニカーや恐竜のフィギュアで遊び、階段や廊下を走り、棚の戸を開けっぱなしにしたり、お菓子を欲しがる、冒険好きな少年が浮かんできます。Q条家のこれまでのイメージとはまるで違っています。

A村J子

P.S. 紅はこべを読んでいますが、とっても面白くて、子供のようにわくわくします。これから第3章に入ります。

5月5日

親愛なるあしながマーケターさま

わたし、昨日もあなたへのメールを書こうとしていたんです。でも、「親愛なるあしながマーケターさま」の一言で手が止まってしまって。夕食後に、菜園でイチゴを採る手伝いをすることを思い出したので、パソコンを部屋にそのままにして行ってきました。

そうして戻ってきたら、何があったと思いますか?

キーボードの真ん中に、足の長い彼がいたのです。そう、本物の「Daddy-Long-Legs」です! おじさまにはあしながマーケター、と名付けたので少し違いますが、あなたのように足が本当に長くって。

虫は苦手ですが、そっと片足を持ち上げて(ティッシュと新聞紙を使いました)窓の外にそっと放しました。そして彼は、窓の外の木の葉にふわっと着地しました。虫は苦手ですが(大事なことです)、この彼のことは今後も傷付けないと思います。きっといつもあなたを思い出しますね。

本物の「Daddy-Long-Legs」を見たことで、なんとなくあなたが見守ってくれているような気持ちになりました。

もうすぐこのお休みも終わり、そろそろお土産を買わなくてはいけません。あなたにもお贈りしたいところですが、宛先がわからないので子猫の絵を描いておきます。

一瞬ダディが立ち上がっているように見えた瞬間です。背が高くて足が長くて、まるであなたのようですね。

それでは、また
J子

参考:「The Project Gutenberg eBook of Daddy-Long-Legs, by Jean Webster」
https://www.gutenberg.org/cache/epub/157/pg157.html