あしながマーケター

第一回「憂鬱な月曜日」

2022年10月18日 2023年05月10日

0. 憂鬱な月曜日

毎月、2週目の月曜日は本当にひどい日だ。いつもより早く起きて、身なりを整え、混み合った電車に乗って会社に向かう。完璧に糊付けされたカッターシャツに暑苦しいスーツ、足が痛くなる5cmヒールのパンプスに手間をかけて盛っているけれど「ケバい」と思わせないナチュラルメイク。そして会社に到着すると、完璧に掃除をして、埃ひとつない状態にオフィスを整える。そして礼儀正しく、「はい」「いいえ」と受け応える。

新卒入社4年目、未だに働いている営業所で一番年下の哀れなA村J子は、本社からの視察がくる毎月第二月曜日の大変な雑用をすべて背負わなければならないのだ。毎月第二月曜日はぺこぺこと頭を下げ、ろくに視察員の顔を見る暇もなく雑務に終われ続ける一日を送るのだった。

やっと視察が終わって一息つく。定時も近付いており、休憩室で暗くなった外を窓から眺めつつ水筒からお茶を飲んでいると、駐車場から本社から視察に来ていたお偉いさん達が乗っていたクラウンが出ていくのが見えた。

そこに、鼻歌混じりで営業の先輩である富田がやってきた。「A村、R野さんが呼んでたよ。応接室。すっごく怒っているみたい。」ニヤっと笑いながら彼は言う。「すぐ行きます。」と返して、休憩室を飛び出した。何がいけなかったのだろう。視察員のために用意したお昼のお弁当、勝手にいつもとお店を変えたのがいけなかっただろうか。不評だったのかもしれない。応接室の棚を拭き忘れたのだろうか。

薄暗い廊下を歩いて、エントランスに差し掛かる。応接室はその向こう側だ。ふと、エントランスに目線をやると、外に出たところに背の高い男性が立っていた。足が長い。影にはなっているが、量産品ではなくサイズがぴったりの仕立ての良いスーツを着ているのが一目で分かった。あんな人はこの営業所にはいないので、きっと視察に来ていた偉い人の一人だろう。彼を乗せる車のライトがエントランスに差し込み、彼の影が建物の中に映し出された。まるで……足の長いクモのよう! J子は一人でケタケタと笑った。

応接室に着いてノックをすると、「どうぞ」と中年の女性の返答があった——営業所長のR野だ。50代の女性で、めんど……気難しい性格なので、J子との折り合いはあまりよくない。部屋に入ると、そのR野がにこやかな顔をしていた。視察に来た本社の人やクライアントに対してじゃないと社内では見せないような顔をしている。珍しくて、逆に怖い。

「座ってちょうだい。」彼女の指示通りにソファに腰掛ける。「先ほど出ていかれた紳士をみましたか?」
「背の高い方ですね。」

「彼は本社に最近入った取締役の一人で、マーケティングを担当しています。名前は明かさないように、と言い含められましたが……」

取締役なんてWebサイトの会社概要やプレスリリースに名前も顔も載ってるんじゃないか、とJ子は思ったが、そんな細かいところは気にしてはいけないらしい。

「あの方が、A村さんの書いたエッセイをご覧になったそうです。」

エッセイというのは、社内報用に頼まれた営業所の近況を書いたものだった。営業所の社員や起きたことを紹介したものだ。

「あなたが上手く笑いをとっていなかったら、許されていたかどうか。でも幸いなことに———彼、先程の紳士はユーモアのセンスをお持ちだったようですね。あの不愉快なエッセイのおかげで、あなたを本社のマーケティング部に……と言ってくれたんです」

マーケティング部へ? J子は目を丸くした。彼女がうなずいた。R野から手紙を渡され、開くと印刷された文字で、こんなことが書いてあった。

学びのための費用はすべて用意する、毎月の給与とともに必要経費が振り込まれる、毎月メールを送る、感謝の言葉は書いてはならない、仕事で学んだことなどを家族に知らせるようなメールにする、A村J子が良きマーケターとなりクリエイティブや広告・コンテンツを制作できるようになるためのものである、支援者はメールに対して興味も持たないし返信もしない、人付き合いが嫌いなため、支援者の名前は山田太郎とする。

なんだこれは? ——逡巡していると、R野の声で我に返った。「あなたに降りかかった幸運に、しっかり感謝なさい。」

「はい——それでは、失礼します。」応接室を飛び出して、J子はドアをそっと閉じた。

 

 

20XX年9月30日

田舎の営業所で燻っていたわたしを本社に異動させてくれた親切な方へ

たった今、引っ越しが終わりました。まだ本社での業務に入っていないので仕事のことや学んだことはお知らせできませんが、お近づきのしるしに、ご挨拶としてメールを書きます。
ずっと田舎の営業所にいたので、あの辺りから1時間もかかるような都会でわたしが働くことになるなんて、いまだに信じられません。分かっています、感謝の言葉を書いてはいけないんでしたよね。

全く知らない人へメールを書くのは初めての経験です。このメールがあなたの思っていたものでなくてもどうかお許しくださいね。そもそも、長文のメールなんて高校生のとき以来なのですから。最近は友人とはもっぱらSNSのメッセージだし、短文なので。

さて、本社に異動するにあたって、送迎会では酔っ払ったR野さんから今後の人生についていくつか建設的なご意見をいただきました。親切にわたしに尽くしてくれる方に対して、どう振舞うべきか。わたしは礼儀正しくあなたや上司の言うことに「承知しました」と返すべきなようです。

でも、ご自分のことを山田太郎なんて偽名で名乗る方に、礼儀正しく振舞うなんて……まるで役所の受付に貼ってある書類の見本に話しかけてるみたい!
もう少し、個性的でどんな人かを想像できるようなお名前にしてくださればよかったのに。最初に異動の話をいただいてから今日まで、ずっとあなたのことばかり考えていました。入社してから数年、わたしに興味を示してくれる上司の方がようやく現れたと思うととても嬉しいです。でも、あなたについては知らないことばかりで……。あなたについてわかっていることは次の3つ。

  1. 身長が高い
  2. 弊社の取締役で、お金持ちである
  3. 人間嫌いである

親愛なる人間嫌いさんとお呼びしましょうか。でも、それではあなたに親切にしていただいているわたしへの侮辱になりそうです。お金持ちさんとお呼びするのはあなたへの侮辱です。さて、もしいつかあなたが貧乏になってしまっても、足が長いのは変わりませんね。だから、あなたのことはメールでは「あしながマーケターさん」とお呼びすることにします。

ああ、もうすぐ日付が変わってしまう! おやすみなさい。

敬具              A村J子

P.S. あなたのイメージ図を描いてみました。足が長いことしかわかりません。

 

 

 

完全におふざけで書きました。よかったらWebマーケティングに関する情報を発信しているメルマガにご登録よろしくお願いいたします。かしこ。

広報のN村

悪ふざけにもほどがある。

参考:「The Project Gutenberg eBook of Daddy-Long-Legs, by Jean Webster」
https://www.gutenberg.org/cache/epub/157/pg157.html

第二回 20XX年10月〜
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 2022年11月22日第二回 20XX年10月〜